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現在,シカゴ双葉会日本語学校では補習校・全日校ともにバス通学が原則となっております。現在のような通学バスシステムが整備されるまでには,シカゴ補習校の創立時1966年以来の歴史があります。現在に至るまでの通学に関する状況の変遷を記しておきたいと思います。
1969年から1978年までの9年間,補習校はロヨラ大学を借用し授業を行っていました。そこでの最大の懸案は通学問題でした。駐車場の確保・通学時の車の混雑はどこの補習校においても悩みの種になっています。シカゴ補習校においても同様土曜日の朝夕1時間,大学付近の道路が児童生徒の通学のための自動車で埋めつくされ,身動きできない状況になっていたのです。地域住民からは「ジャパニーズ オン サタデー」と言われ,住民感情も悪化してきました。双葉会は,大学に図書や石灯籠の寄贈を行うなどの関係改善に必死の努力をしましたが、土曜日ごとのパニック現象はますます住民感情を悪化させていったのです。その頃生徒増による教室不足と全日校設置の気運の高まりにより,大変な苦労の結果,1978年9月,スコーキーケントン校に移転し、全日校も発足させました。それを契機に住民との軋轢を解消する手立ての一つとして自動車通学からバス通学に切り換えたのです。しかし,当時学校周辺の住民からは決して快く迎えれられたのではなく,移転後2年ぐらいは窓ガラスを割られることが続き,50%以上をプラスティック窓に取り替えざるを得ない状況でした。
このような状況の中,双葉会・学校・PTAの三者で,力を合わせて地域住民との協調と相互理解に努めた結果,軋轢は徐々に解消していったのです。
1984年,現エマーソン校への移転時に発行された校報に,地域住民への配慮について次の様な一文が残されています。「誰も故郷を愛さない者はありません。故郷は思い出の泉であり,我が人生の確かめの場です。そのために,故郷が昔のままであって欲しいという願いは,どの民族にも変わりない感情であろうと思います。ご承知のようにエマーソン校の南には,数十年を経た家々が立ち並んでいます。そこに居住する人々の目をもって日本語学校を見る時,それは経済侵略のシンボルとしか映らないでしょう。ある日突然,黒い目,黒い髪の大集団が入ってきた時の地域住民の戸惑い。一歩間違えば,すぐに不快感に繋がります。そうしたことを十分思いやって,ごく自然になじんでいくようにしたいものです。」
現在の日本語学校の安定した状況は,先人の英知を結集して作り上げたバス通学を原則とした通学システム,双葉会によるスクールディストリクトとの信頼関係づくり,補習校・全日校における生徒交流,オープンハウスや現地校訪問などでの学校交流,運動会等行事への招待,歴代の国際交流ディレクターによる地域との交流活動,そしてトータルにはJCCCの幅広い現地教育機関への援助など,多面的・複合的な手立てと積み重ねの結果なのです。
我々は,今までのシカゴ双葉会日本語学校を支えてきた人々の築いてきた現状に甘えることなく,新天地アーリントンハイツにおいても,地域社会との協調と相互理解を深めていかなくてはなりません。通学問題だけでなく,様々な面で「校舎を貸して貰っている」「地域に住まわせて貰っている」というある面で謙虚な気持ちを忘れることなく,シカゴ双葉会日本語学校がしっかり現地の方々に受け入れられるように努力していかなくてはなりません。児童生徒として,保護者として,学校として,それぞれの立場でのご協力をよろしくお願いいたします。
具体的には,以下の点に特にご留意下さい。
・あくまでもバス通学が原則です。自家用車での送り迎えは,止むを得ない場合のみにして下さい。
・駐車場に限りがありますので,学校行事等で来校の際には,なるべく相乗りでお願いします。
